牡羊座時代の始まり
- 3月12日
- 読了時間: 7分
更新日:4月18日

魚座から海王星、土星が抜けて牡羊座へ入った。
なんと様々なものが露呈したことか。
この国の実態。世界の実態。
そして私達はなんて残酷な夢を見せられてきたのかについてを。
陰謀論としてコンテンツとして楽しめた魚座時代とは様相を変えて、それらが笑えない程全ての根幹にしっかり根付いており、どんな世論も魚座時代 に「創れる」事が露呈した中でもはや一般人レベルの社会の倫理観など飛び越えて通用しない狂気のスタンダードへと移行しつつある。金や権力や血統がモノを言わせていた地の時代から、今、言論も人気も流れも流行らせる事ができる風の時代の本格的到来だ。
春分の日を越えるまでのこの水星逆行期に次々に発覚するニュースの処理がバグっている。
甘美な夢を見させられながら、緩やかに誘導されどんどん追い詰められていく羊たちの群れ。羊も牛も生贄に差し出されていた動物だ。
このまま4月26日以降は天王星が双子座へ入る。もう、すでに用意されている流れがあるのかもしれないが、双子座天王星というデジタル化の波に呑み込まれ、巨大なシステムの中に私達は生贄にされていくのだろう。
そして、システムの中に「モノ」として収まった方が楽と考える人もどんどん増えている。私達はもはや身近な親や上司の言う事を聞くことから、スマホやAIの情報なしには生きられない。生きる指針をそこに委ねてしまいつつある。
でもそこにあるのは羊たちを誘き寄せていく誘導だ。魚座時代に騙せたようなあの手この手で情報はうまく羊たちを操る。
そこから抜け出すにはどうしたらいいのか。
そのヒントを土星というクロックの語源であるクロノスが指し示す。牡羊座という春分点に土星がリセットされたということは、これまでとは違う自分の時間、時刻を生き直すということだ。グレゴリオ暦の時刻に縛られ、生きる時間を奪われ続けていた私達は、今こそ自分のカイノス、自分だけの時間を取り戻し、生き直さなければいけない。
AIには決して測れない感受性をたっぷりと深く豊かに開花して、生産性を考えず、過去からのトラウマに心を閉ざさず、より生産性のない意味のないことを(例えば無駄話、ぼーっとする、ダラダラ過ごす、何もしない)、そして、剥き出しの心で周囲の人たちと心を通わせて、自分のための幸福追求を始めなければならない。それは不器用で不規則で不定期で不順に満ちている。でもそれが本来の人間だ。モノではなくヒトだ。でも自分は自分であり、自分だからこそ良いのだという個性を誇りに思えて初めて、海王星的理想や夢を自分自身に抱くことができると私は思う。何かや誰かに夢や理想を見せられたり、叶えてもらうのではなく。自分にあらゆる決定権を取り戻すのである。
そういう意味ではあらゆる風で人民を上手に揺さぶりながら、何と人権が脅かされる危機的状況下にあるのだろうか。
7月からは獅子座に木星が入る。獅子座はオリジナリティだ。今、自分自身を生きよう。モノとしてではなくヒトとしての自分を取り戻そうとリセットする準備を始めたヒトには、きっと生きやすい流れが来る。
成功や成長を強いられ、自分に自信を失わせる生き方に疲弊している人は、いっそモノになった方が楽だと、モノになるためにヒトを手放し出す。
何のための一度きりのいのちなのだ。
占星術もタロットもその奥義を紐解くと結局のところ私たちはどんな設定で生まれたとしても、愛を学ぶためにしか生きていない事に行き着く。究極愛を与えたり与えられる以外に生命の喜びはないのだ。モノになることは愛を手放すことだ。何故なら剥き出しの個をヒトは愛するし、それこそ愛されるポイントだから。
強靭な権力に、強靭な正義感で対抗すると戦争になる。戦争は決して他国に対するものだけではない。自国同士内紛、内乱も沢山起こるだろう。それに翻弄されてどちらかの正義に加担してもそれは本当の意味で平和を齎さない。過去の歴史が物語っている。こんな時には一旦刀を収めて、丸腰になって、腑抜けになるのだ。
こんな時代はモノはモノでもナマケモノになって、この狂った時代をユーモラスに謳いながら生き抜くしかない。アンポンタンなピエロになって失笑されながらも、どんなチャンネルにも合わせずに、フリースタイルで自分のいのちのリズムを刻んで生き抜くことだ。
地球という生き物と同化して自然の一部に還っていくことだ。
牡羊座の象徴は「始める」。すでに新しいフェーズに時代は移った。これから始まる様々な出来事を、羊として受け入れるか、真向からそれに硬直して戦い抗うのか。ピエロとして転がしていくか。海王星は「騙す」。騙されるのはもう沢山と思っているヒトは、あえて自分から世間を欺きピエロになって騙すがいい。歌舞いて歌舞いて最強の歌舞伎者であれ。
それを「始める」のだ。静かに、緩やかに。
ここから地のない時代が来る。その前にそんな足場固めを始めることをお勧めしたい。
「とき」は必ず来る。そして「とき」は必ず過ぎる。
それを俯瞰して時代を読む目を養う術が、占星術だと思っている。
結党からドラマチックであり、党首の辞職、壊滅的危機に晒されているれいわ新撰組についても同じことが言えると思う。海王星土星が魚座にいた時には、まだカリスマの代理店としていわばフランチャイズ的に選挙に出馬したり政治活動ができた。山本太郎が多くの国民に夢を見続けさせるために全国を駆けずり回る事で成り立った芸当だった。けれど牡羊座に移動すると、自分自身が力を持つ必要が出てきた。芸能人と一般市民という全く違うレイヤーを超えていくという非常に大きな課題が露呈した。その限界点が黄道十二宮の終わりと始まりの境目だったと感じている。
山本太郎が横に広げるべきはまず最初に一般庶民ではなく、自分と同じくらいスター性があり新撰組のキャラの一人としてファンを獲得できる仲間だったのではないか。れいわの議員のうち半分以上がそうしたファンがオシカツできるほどパワーを持ったカリスマたちであれば、山本太郎は1人で抱え倒れる事もなかった。なぜならその種の人はその種の事情や心理をよく理解し合えるから。有名人は有名人の物差しがあり、市民には市民の物差しがある。有名人は光も強ければ闇も強い。どれほどの孤独と苦しみの上に照らされた光なのかを市民は知らない。腹を括った歌舞伎者と、市民のモノサシでしか世間を見れない一般人の差が浮き彫りになる。山本太郎が欲しかった仲間とは、新撰組として同じ土俵で戦える歌舞伎者だったのだ。どんなに足蹴にされても、冷笑されても、歌舞機抜いてみせる芸人魂をもった同志だったのだ。S N SやYouTubeなどで我こそが正義、賢い世論だと自己満で幼稚な知識人のマウント合戦や、誹謗中傷にも涼しい顔で相手にせず、表向きには歌舞いてみせて黙々と剣を磨き続ける。浜田広介の「泣いた赤おに」の如く青おに役をかって出れる器の大きな人材にしか、組員は務まらない。市民感覚での半端なプライドや羞恥心や正義感は最も不要なのだ。恥も外聞もかなぐり捨てて、政界の歌舞伎者として芸に昇華してみせよ。獅子座木星期には、大いにそれが花咲いていくだろう。そもそも相手は国家権力だ。既存の政党が今まで何故そこを改革どころか足すら踏み入れられなかったのか。そこに真っ向から切り込んでいけるのは一人の人間としての幸せや人生を捨てた「変態」しかいないからだ。そんな変態の悲しみや孤独に石を投げ続け、相変わらず半端な正義を振り翳し自ら生贄として追い詰められていく羊たちと、それを笑顔で誘導していく社会の流れ。
「変態」などにならずとも、足元の、隣の人の苦しみや悲しみを押し計れる社会であってほしい。私は常識人です、みんなと同じ一般人ですと幸せぶって痩せ我慢して歌舞かねば村八分になってしまう日本のいまを、私は深く憂う。
獅子座木星期を前に私は改めて問う。「自分らしさとは何か。自分にとって本当の幸せとは何か。何を自分はこの世でたった一度の命を発揮して生きたいのか」を。


