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トランスサタニアンが示す時代

  • 7月11日
  • 読了時間: 11分

更新日:7月15日

古代から社会の転換点として重要視されてきた所謂ソーシャルプラネットとしての木星、土星が会合する20年の周期。グレートコンジャンクションが2020年末に風エレメントの水瓶座で起こった。これは特に400年ぶりの大接近として12月21日に起こったのでクリスマススターとしても注目された。以後、2040年に天秤座、2060年に水瓶座、2080年には双子座で会合し、風エレメントを巡回していく。

2020年の0度での会合はコロナパンデミックという合図だった。

それ以降、6年間世界中で戦争など猛烈な風の勢いが吹き荒れた。

風のエレメントは、タロットカードでソード(剣)を示す。切り分ける。切り捨てる。

世の中のあらゆるところで分断が加速し、弱者は切り捨てられた。

そして、風は情報や知性を示す。一般人が再生数稼ぎにあらゆる情報をチャンネル化し、外の世界に希望が持てない人々が視聴者となり群がった。そして分断が加速した。

特に冥王星が2023、4年に水瓶座へ入ると山羊座的常識が崩れていった。AIの台頭により地から風への強制移行が行われ、その後魚座海王星、土星が心を癒す救世主をネットの世界に縋って行く様は私の周辺にも顕著だった。そして視聴者やフォロアーを獲得していったネット上の人々は、市民権を得てインフルエンサーなどと持ち上げられた。

2025、6年に入って、土星、海王星が牡羊座に入り、魚座的ネット工作に騙されていた人々は、あらゆる暴露と対峙して行く。天王星が双子座に入ると、それが加速し、誹謗中傷や情報流出の風が吹き荒れている。それによって外の世界に希望を見出せない人々は自分に関係のないどうでもいい「点」の情報がさも重要な事のように再生数稼ぎで溢れ、人々はネットの「点」に振り回され、本当に重要な情報や出来事の「線」を見抜けなくなっていった。情報操作が簡単になった。

もうすぐ唯一水エレメントの木星が火のエレメントの獅子座へ移る。蟹座的コミュニティ。中の人、それ以外などと妄信していたコミュニティや身内、保守などという勇ましい言葉の空回りや分断により弱体化された社会が、待っていましたと言わんばかりに獅子座の勢いに喰われていく。あらゆる事が騙されていた!勘違いだった!と気づいても、もはや時すでに遅しだ。

2020年からここまで、社会天体と言われる木星土星、時代天体と言われる天王星海王星冥王星全てが移動を終え、火と風が吹き荒れる時代を目の前にして私はそのシンボリックな事象を、山本太郎にみた。


ここに山本太郎のホロスコープとソーラーアーク法の2重円を示す。2013年からステリウムする彼の惑星の上を冥王星がずっと通過していた。水星を通過して行く時、彼は猛烈に学習し対話していただろう。火星が通過する期間、彼は粉骨砕身で猛烈に働いていただろう。そして今、ちょうど7月から彼の太陽の上に冥王星が乗っている。強制終了の時間だ。

私の父も山本太郎と同じ病気で亡くなった。会見での太郎さんの顔を抗がん剤治療中の父の姿が過って、直視できなかった。どうかこの期間を乗り越えられますように。なぜなら2030年迄には彼の金星に冥王星が通過するから。報われる時間がやってくるから。


私は太郎さんがれいわ新選組を立ち上げたのと時を同じくして魔女フェスを立ち上げた。ずっと太郎さんの背中が胸の中心にあった。なので私なりの思いをここに記しておきたいと思う。

私の父は学生運動世代だが公務員になり、私が知る限り、静かに生きた人だと思う。高度成長期が、正義感や反骨心を肩書きやお金で溶かしていった。プライドを歪めた。

そして私はロスジェネ世代だ。物心ついてこれまで、権力に逆らって勝利した者など見た事が無い。ただの1度もだ。あらゆる質問には、仕方がない、そういうものだ、理由なんかないと誤魔化され、あらゆるものがランク付される社会で、絶えず劣等感と優越感の間で空気を読みながら歩幅を合わせ、ズレることを恐れ、失敗を恥に思い、意味のないプライドで自分を守り、自分がどんどん嫌いになって、生きれば生きるほどに追い詰められていった。山本太郎さんが行動しなかったら、私は魔女フェスをやれなかった。勇気がなかった。

なぜ、太郎さんはあんな風に心身共にボロボロにされて政界を退場させられたのだろう。

国家権力に正面から切り込む勇気ある行動。

言葉にすれば単純だ。

それっぽい人たちは沢山ネットに溢れているだろう。それっぽく見せる演出も数多い。ネットに慣れてしまった人々は、そこに上手に優越感を擽られるとすぐ騙される。

まず、「行動ができる人」がいなかったことだ。太郎さんを非難する、上から目線で論ずる人々に言いたい。あなたに同じことができるのか、と。やってみろ、と。

前述したようにネットという自分が傷付かず、矢面に立って責任ある立場を背負って発言せず自己満の言論で良くなった事で、再生回数とフォロアーの獲得を目的としたタチの悪い「見せる」ための装置が、一般人を容易く洗脳したという事。で?とツッコミたくなる配信に満足してしまい、その先のリアルを想像できなくなってしまったという事。日本総ネトウヨと成り下がってしまいつつある。

政治の本質は対話だ。誰とだって精々1時間はやり合わないと、本音や対話の核心にはいきつかない。言論はソードだ。常にナイフで相手に刺されるし、恥もかく。失言や暴言も当たり前に出る。生身の人間なのだから。対話力くらい場数をこなして身につけるものはない。

路上に出て、リアルに一般の人たちと1000回以上対話する。この千本ノックを誰か出来るのか。鍛え磨かれたその対話力。「国家権力に立ち向かう力」なんて生半可な心身じゃ無理だ。その強靭な心身を鍛える為なら当然のトレーニングはせずに、知識人、論客、政治家はよそ行きの顔で涼しい顔で話したり、自分のオトモダチとの対談動画では綺麗事を語るが、キレたり、上から目線で失笑したり、退場したり、シャッター下ろしたり、後から誹謗中傷したり。彼らは少し車間距離を詰められるとすぐに本性を表すではないか。その人間性こそが行動を伴えない何よりの証明だ。だから、みんな山本太郎の話題を逸らす。言葉を濁す。話したがらない。認めたら、漢じゃない自分が見せられるから。で?の生ぬるい配信でネトウヨファンクラブの再生数しか稼げない、リアルに表に出て誰に意見を言われても、逆にファンにできるような対話力がない薄い人間性が露呈してしまうのが怖いのだ。

彼らの中に、山本太郎とせめて1時間でも、カメラの前で対話する勇気がある人はいたのか。あらゆる政党の党首、有名政治家、偉そうにネットで山本太郎をバカにしてきた有名人、自分こそが知識人だと我が物顔で物申しマウント合戦に明け暮れる自称真実を語る勇気ある賢者たち。

山本太郎のまつリングに上がる勇気はあるのか問いたい。化けの皮が剥がれるのが怖いから、太郎さんをやっかむのだ。フォロアーの前でプライド高くイキがるのだ。そんな分断工作にいつまで皆騙されるのか。私ははっきり言いたい。その人たちは何もあなたたちのために動かないよと。いざその時の彼らの言い訳を、私は容易に想像できる。

そして、私たちロスジェネ世代が埋め込まれた「劣等感」と「プライド」。

太郎さんは、謙虚だった。「空気を読まないバカにしかこの国を変えられない」に始め、謙虚だからこそ自虐的に発する言葉の数々、不謹慎でややこしいなど、分かりやすく一般人に届けるためのエンタメ性のあるネタを、痛烈なブラックジョークに受け止める教養や知性のない人々は、まるで列を乱すトラブルメーカーのように冷やかな目線で見下した。自分たちは生活弱者じゃない。自分たちはそっち側じゃないと。

特に「炭鉱のカナリヤ」すら意味が理解できない人が国民の大半だったのだ。

そして、政策は支持してやる的な上から目線な人々。それに対して腰低くいつもありがとう御座いますと頭を下げ、努力や実力をひけらかす事なく見せ物パンダ役を引き受けてきた太郎さん。国民の窮地を救うために自分のこの国で普通に生きるあらゆる権利も投げ打って、いつ命を奪われるかしれない恐怖を常に感じながら先頭に立って最前線で戦ってくれる人に向かって、莫大な借金をして命を削って活動する人に向かって、次第に支持者だ、ボランティアだと勘違いして組織としての「れいわ」を論じる輩まで出てきた。

「多様性」「誰1人取り残さない」。月星座魚座の太郎さんは寛容過ぎた。どんな人にでも間口を広げ過ぎて社会を恨む個々の問題の捌け口にされたり、絡まれたり。何十年もの間、社会に耳を傾けてすら貰えなかった、政治に見捨てられた人々がどれほど社会に溢れていたかである。一身にその受け皿になる役目を買って出た人がかつていただろうか。

大衆は常に新しいものに期待する。

皮肉にもそんな者たちにあまりに時間を取られ過ぎて、風が吹いているうちに短期決戦で影響力を持てるだけの数を確保できなかった。そして自らの首がしまっていった。

私は太郎さんの演説を日本一だと思っている。誰にも真似できないと思う。けれど、最後に「横に広げてください」と言われる事だけに違和感があった。

「国家権力に真っ向から体当たりする政党」は、普段生活者として国家権力の恩恵のもと大人しく生きる人たちにとって、リスクがあまりにも大きかった。

私は、ずっとこのことは親しい人としか共有していない。そして、親しい人は不思議とやっぱり信条が一緒だ。

だから、選挙の時には太郎さんへの日頃の感謝と無事を祈りながらボランティアとして静かに自主的に活動し、募金する。けれど投じる一票への思いは誰よりも熱い。誰かと繋がろう、オトモダチになろうだなんて思ったことはなかった。政治家が孤独なように、支持する人も孤独であって当然だと思っていた。そして、それがフリースタイルで太郎さんを支える事につながると思っていた。太郎さんと「想い」で繋がっていた。

横に繋がってオトモダチ同士でワイノワイノれいわの推し活するなんて、太郎さんが政権とれるような社会になってからだろうと思っていた。

何せ「国家権力に命を賭けて真っ向勝負を挑む謀反人」を応援しているのだから。

彼らは最前線に太郎さんを平気で立たせ客寄せパンダをさせ馬車馬のように働かせながら、太郎さんが命がけで作った「れいわ」という奇跡のフィールドに土足で入り込み、

政策がどう、弱者救済など耳障りの良いズレたフレーズで正論を振り翳し出した。太郎さんの信頼で集まった資金、太郎さんが客寄せパンダを演じて築いた党の知名度、太郎さんが命を削って活動して得た票によって当選した一般人。「れいわ」は世間では謀反人なのだ。本来誹謗中傷され石を投げられる社会で最もイタイ立場に自らなると腹を括った人のはず。大企業や宗教などスポンサーなしの国政政党で国会議員になれるなんて奇跡を太郎さんによって与えられたのだから、太郎さんの最も世間や国会でイタイ存在から国政政党の党首に上り詰めるまでの捨て身の努力をして太郎さんの力なくとも当選でき、努力する姿をかってもらってファンを積み上げてお金も自分で集められる自立した存在に1人1人がなって然るべきではないだろうか。謙虚に太郎さんが盛り立てるので、一般人を支持者はメガネを通してその候補者を見るが、正直、太郎さんより華があってキャラ立ちしてファンになってしまうような候補者や議員がいただろうか。当選した途端に、れいわの「議員」としての立場に酔って正論だけ振り翳すイタイ人を特に地方などに沢山の勘違い議員を生んでしまった。みんな「個性」を発揮していいんだという太郎さんの言葉を、都合よく解釈して個性をれいわの強みになるよう発揮することさえできなかった。党の役職や立場に擦り寄り、「れいわ」を自分のいいように利用し、ボランティアと内部情報を共有し、工作員や罠がどんどんれいわの内部を侵食し、結果内部崩壊を招いた。外で国家権力と戦いながら、その一方でそれに対抗するための支持者を増やし、候補者を探し、そんな内部に頭を悩ませながら、太郎さんはどんなに心身ともに疲弊していっただろう。

太郎さんは仲間が欲しかったんじゃない。自らもっと切り込んでいくための力が欲しかったんじゃないか。それが投票であり数であり、皮肉にも国会の原理。

風の時代の悲劇。

太郎さんはその被害者になってしまった。

権力に刃向かった者の末路をまたひとつ、見せられた。

れいわは「仲良し市民政党」で揚げ足をとりあいながら、しばらく擦ったもんだやりながらやがて力を失っていくのだろう。太郎さんを批判した人は絶対代表戦に出てなど来れない。体裁の良さげなリーダーを表に立たせて、戦況に合わせて自分の身を守っていくのだろう。

出る杭は打たれるという諺は知っていたが、出る杭には打たせながら、甘い汁だけ吸うなどという「不謹慎」極まりなく厚かましい正義ズラした「ややこしい」人たちには閉口する。


奇しくも時代は実態や肉体的活動を示す地のエレメント、様々な情や想いを示す水のエレメントを喪失しながら進んでいく。

もはや、真面目に実直に肉体を使って汗水かいて働いたり、誰かのために感情が動いたり、そんなものが必要なくなる。火という向かうべき旗印を風が上手に空気を作る。AIのように人間がモノとして、生きる時代になる。



人々のリアルな生活すら理解できない「空気を読めないバカ」どもが、不謹慎にどんどん放火してくる時代になる。獅子座木星は、間違いなく仕掛けてくる。

その時に、炭鉱のカナリヤはもういない。

被害者は、本当の意味での、空気が読めなかったバカたちである。


タロットカードの風・ソードのカードの物語のラストはご存じだろうか。剣は全部自分に刺さっているのだ。何という愚かな時代か。

ソード(剣)とワンド(火)の小アルカナの物語をこれからあらゆる事象において、

いくつも我々は目にすることになるだろう。















 
 
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