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魔女のフェスタ2025






2019年4月30日。

はじめて魔女のフェスタを開催した。

4月30日は魔女の本場ドイツでヴァルプルギスの夜といって春は魔女たちが連れてくるという魔女祭が開催される日だった。

そして、奇しくも平成最後の日。

そして、白状すると私の生まれた日が、魔女祭開催日だ。

当時、馴染みのない茨城で仕事と子育てに煮詰まって窒息しそうだった私は、いろんな世界と繋がりたい、たくさんの知らない 人たちと繋がりたい、閉ざしてきっていた自分の心の窓を全開にして、猛烈に叫びたい衝動に取り憑かれていた。

そして手作りのチラシ片手に知らない人に次々声をかけていって、どんどん登場人物が増えていくとともに物語が展開して、今では黒歴史すぎる当日作詞した歌まで歌ってしまうという想像もしないまさかの結末に。

あの時、そんな私にチカラを貸してくれて一緒に創り上げてくれた一人ひとりには今でも感謝で胸が熱くなる。時折懐かしい写真を眺めては、今でも繋がる愛しい一人ひとりに想いが溢れる。いつも出会う誰かのそんな存在になれたらと思う。


人生において、あんなセラピーがあっただろうか。

「自己責任だ」「お前が悪い」「仕方ない」「そういうもんだ」「どうせ変わらない」「女のくせに、母親のくせに、外もののくせにでしゃばるな」「金もないくせに」「何も言わないのがオトナだろ」「みっともない」「オンナコドモはすっこんでろ」

ずっと理不尽の連続に自尊心が潰されそうだった。フェスタをやることで私の中の硬く厚い氷が溶けていき、癒されていった初めての体験だった。


そして、翌日から幕開けした令和の時代は波乱に満ちていた。

けれど、どんな状況下になっても、私は毎年魔女のフェスタをやめなかった。

市役所に何度もかけ合い、紹介されるままに協力してくれる方々のところへ行って頭を下げ、選挙の手伝いもし、地域情報誌の一面もジャックした。非通知の誹謗中傷電話、メールは連日押し寄せ、周囲からは冷ややかな目で見られた。

でも、何故か私は一切それに傷つかなかった。今でも変わらず現れるが、私を謎に見下して失礼を働く一定層は、例えるなら私にとってイオンですれ違う不特定多数と何ら変わらない。

それより私の心のエネルギーは、次々と出会うトキメク人びととの交流に注がれていった。

私 の知らなかった世界。ヒッピーのような人びとも、アーティストとして世界中飛び回る人、政治と戦う人、平和を唱える人、自然な農や森と向き合う人びと、日本の歴史に精通する人、フェミニズム、マツリゴト、精神世界、ご神事の世界を見せてくれる人、トイレが家にない人も笑。

どれも深い学びとなり、自分の成長につながったと思う。


そして昭和100年、戦後80年を迎える今年。

それらの体験を経て、私が行き着いたのは「アワのチカラ、サヌキのチカラ」。

年頃を迎えた自分の娘たちも含め、若い世代は口を揃えて子どもを産みたくないという。誰かと一緒に暮らすなんて面倒くさいという。Wi-Fiと繋がっていれば安心だという。

私たち世代といえば、親世代が所有し拠り所にしてきた土地家屋や血縁、墓といよい向き合うタイミングを迎え、親世代に埋め込まれたトラウマにアレルギーを起こしている。

そんな親世代は孤立を紛らわすようにさっさとTVのリモコンを押してしまう。


政治もメディアも医療も教育も家族制度も複雑化し細分化し、ヒエラルギー化する仕組みで誤魔化してきたものが、結局繋がっているものは一緒だと露呈し、けれどもその繋がりを手放せずに現状維持を正当化するしかない現状。

燻っている、疲弊している、孤立していく。

けれどもそれと比例するように、 AIが仮想空間へ我々を逃避させ、外国資本が全てを奪っていく。

昨年のテーマであった「オペレッタ」といって喜劇ではも済まされないところまで来てしまった。

仕方ない、どうしようもない、そういうもんだ、がどんなもんだ。


昭和100年、戦後80年で先代たちが繋いでくれたいのちのバトンを、何も考えず繋がってきてしまったものたちが、複雑すぎるコードにがんじがらめに絡まって、身動きが取れなくなってしまっている。

今こそここで、本当に「繋がる」べきものと「繋いでいく」ものを整理し、配線し直さないと、生き物としての原理原則である「イノチ」が繋がらず、途絶えてしまう。


「いってきます」と誰もが社会にあるがままの自分の姿を堂々と発揮でき、誇りに思えること、「おかえりなさい」とそんな自分を抱きしめて受け止めてくれる場所。


恐怖や不安やトラウマに心を閉ざさず、自分の中にある「アワのチカラ・サヌキのチカラ」をのびのびと心を込めてみんなが社会で発揮でき、育んでいけたら、いのちは輝き出す。


今を生きている私たちが世代を超えて血縁を超えて縦にも横にも、織物のように心を通わせあって糸を紡ぎ合い、これから次の世代が安心してその先を織りなしていけるよう、絡んだ糸をもう一度ほぐしていけないだろうか。

それを、「セオリツヒメ」と古代の人は音霊に込めたんじゃないのかな。


私たち世代は、離婚も未婚も爆発的に増えた世代だ。

対話することを、豊かな教養と哲学を、本来 ならば今頃酒の肴として笑い話にできるようなぶっ飛んだ武勇伝すら、身につけられなかった冷たい時代を生きた。

親世代のトラウマをお互いが癒し合い、愛すべき馬鹿野郎と愛されるお転婆娘としてもう一度戦うことをやめて、それぞれの正義を手放して許しあうときなのかもしれない。


私を全否定することでしか自分を保てなかった年老いた元教員の母も、普通じゃない娘が「怖かった」と電話口で白状した時、そういう恐怖もあるんだと命を繋いでくれた母に感謝を伝える事が出来た。


自戒を込めて、今このあらゆることを「超えていく」フェーズに入ったトキを思い、今年の魔女のフェスタに込めた思いを、この場に告白しておきたい。





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