
太陽射手座、月双子座の息子は幼い頃からリモコンが付いてたら一時停止を押したいとずっと思ってきた。あらゆる自分のペースを乱され、鍛えられた。
姉妹が幼い頃、母親🔰だった私は毎月娘たちの誕生日に絵本を贈り、それぞれが小学校に入学するまで続けたのだから、引越しは大変で譲ったり捨てたりを繰り返しながらそれでも百冊以上は残っている。毎月、本の裏表紙に娘たちにメッセージを書き四葉のクローバーの押し花にしたのが挟まっているものも沢山あって、娘たちからしたらさぞ「重い〜」とドンびかれてしまうだろう。
娘たちが幼い頃は、昼間は公園や児童館や遊び場に毎日連れ出して思う存分遊ばせた。そして、夜の時間を大切にした。8時には布団に入り、絵本を読み聞かせて姉妹の寝息をしっかり確認してから、透明人間のようにスッと布団を抜け出し、えもいわれぬ安堵感に酔いしれながら、日常に訪れる小さなでも豊かな自分時間を味わった。
私は今でもそうだが、子どもに泣かれたり、がっかりしたり、寂しそうにする姿を見るのが何より堪らなく辛い。そうならないための最善を基に判断してしまう。
姉妹を児童館にお迎えに行く時も、お腹を空かせて待っている のではと思うとつい通り道のパン屋に寄ってしまう。そしてそれぞれが喧嘩しないよう好みとバランスを吟味して選ぶ。車に乗り込んできた娘たちが喜ぶのが何より嬉しくて、渋滞の帰り道が苦にならなかった。こんな母親だから、車の後部座席はいつも汚れていた(今でもそれは変わらない)。
息子の時には「YouTube」という救世主が全てを解決した。
機嫌が悪い時、大人しく欲しい時、あらゆる不都合を一瞬で解決した。
そんな息子は小学校から帰宅するとダッシュで自分の部屋にいき、おやつも忘れて友達とゲームをやる。
なんてラクチン。オトコノコ。
絵本も幼い頃に読んでみたが、当然5秒後にはアイパットに完敗。
それがふと思い立って、もうすぐ5年生になろうとする息子に、「これ読まない?」と何気なく手に取った絵本『ビロードのうさぎ』をもって話しかけてみた。
ドライヤーで丁寧に髪の毛を乾かしていた息子は、いいよと答えてソファーの隣に座った。
1ページ、私が読み終わってページを捲ると、なんと息子が読み出した。しかもとても上手に。私は内心驚きながら、息子の情緒的ではっきりとした声を聞いた。
結局交互にページを捲りながら読み終えたその時。
息子は堪えきれず大号泣した。嗚咽が止まらず、何十回も鼻をかんだ。
坊やと離れて燃やされたうさぎが可哀想だと苦しそうに叫んだ。
あっけに取られて私は呆然とそんな息子を眺めていた。
目の前で、何よりも本来辛いはずの子どもが泣いたり、苦しそうに嗚咽する姿を、戸惑いならも愛おしいと思った。
ベッドに入ってもうさぎを想って、涙が出て眠れないと姉たちに電話したらしい息子に娘たちは、懐かしいと言いながらなだめてくれたらしい。
そして、結論として私と娘たちはAmazonで息子にうさぎのぬいぐるみをポチってしまうという相変わらずの甘やかしっぷりだった。
そしてなんと次の日には、自ら「ガラガラドン」を持ってきてそれはそれは上手に読み上げた。ここにきて感受性の爆発である。10年遅れて絵本タイムが到来。
もうすぐ息子が「うさぎ届いた?」と息を切らして帰ってくるだろう。
ぬいぐるみが入っているであろうamazonの軽々とした箱を目の前に、思わず頬がゆるんでしまう本当に私はバカ親である。
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