魔女のフェスタ2025を終えて
- いしざき緑子
- 5月20日
- 読了時間: 7分

早朝まで降り続けた雨がカラッと上がって。
八郷の新緑が生き生きと立ち上がるエネルギーを感じながら昭和100年目の昭和の日を迎得ることができた。
「魔女のフェスタ」というイかれたネーミングのイベントだけに、偏見や八つ当たりも毎年開催前に沢山受ける。
今年も案の定、開催2週間前に市から電話があり、駐車場代500円、2部の2000円についてクレームが入り、公共の場を使って営利目的で開催するなら場所を貸せないとのこと。
昨年同じ市内の公共の場を使って開催された大企業がスポンサーになって入場無料で開催された「オトメシフェス」などは全て駐車場は公共施設外(有料)であり、大手事務所に所属する有名アーティストのライブも無料だったという。
さらに、同じ日に市内で開催されるイベントは駐車場は「協力金」という形で有料だが、あくまで協力金であからさまに営利目的ではないという忖度。
大体、どのあたりから圧力があったかは薄々察知できても、あくまで後ろ指刺される可能性のある案件には市は関わりませんという職員の保身に満ちた電話口での弁明には、辟易した。
魔女フェスも全て入場無料にするか、開催中止にするかと選択を迫られた。
開催2週間前の出来事だ。
何を言っても「私個人で何とも言えない。上のものに確認しないと」「上の判断です」「市の公益性を遵守する立場ですから」の一点張り。
東京の大企業から金と人を引っ張ってきて地方の公共施設で大規模イベントを開催することに、その地域に何の本来の利益が齎されるのだろう。
田舎コンプレックス丸出しなフラワーパークがそのいい例ではないだろうか。
さらに同じ市内でも石岡と八郷が合併したことによって生じる地域性の違い。
商売として地元に金を儲けさせなければ新参者は受け入れないという上から目線の村社会の構図。私が筑波山に移住してからずっと静かに闘ってきた構図と全くの相似である。
筑波山麓で毎年開催されている筑波山麓秋祭りも、市から潤沢な予算を引っ張ってきても年々参加者が減っているので昨年私も参加しないかと声がけがあった。
ぜひにと返答したが、「魔女の学校」「筑波山天国」というネーミングが伝統あるイベントにふさわしくないとのことで実行委員で許可されなかったという。
3年前まで使用していた廃校の筑波小学校を借りる時にも、移住したばかりの新参者がしかも魔女という頭のおかしい奴がと毎回人権侵害甚だしい嫌がらせの連続の末の開催だったが、それも市が維持費がかかるという事で外国人にあっという間に貸してしまい、裕福な外国人のための学校になり、地元民は敷地内に入ることすらできなくなった。
「閉ざされた扉を開ける」ことは、非常に労力を使うことだ。
まさに「魔女狩り」をここ数年毎回潜り抜ける連続で、私にも耐性菌がついていた模様。
市役所で直接対話をしに行った。
結果、自分の主張を通せることになった。
私個人の思いで突っ走ったわけではない。私がここで引いたら、私の後ろにいる沢山の今後公共施設を使って様々な新しいアイディアや企画、チャレンジをしてみたいと思う人達の可能性や夢を潰す悪い事例になってしまうと思ったからだ。
私を強く突き動かした衝動の裏にあったもの。
それは企業の協賛金を一斎受けず、だからこそ誰に忖度もしないで、誰もが出店しやすい出店料で出店でき、地元の人たちが集まりやすい場所で、地元のアーティストや県内外のアーティストが交流でき、借りた場所で安全かつ円滑にイベントを開催するために必要経費としてボランティアではなく全てのイベントに関わってくれた人たちにお金が廻る仕組み。
100店舗超の関東一円から様々なジャンルの出店者を集め、地元はもちろん、南房総や東京、岡山など各地から素晴らしいアーティストを集め、それを下支えするスタッフを集め、全てにお金を回す。
これを一日限りとはいえ、一個人で全責任を背負って挑戦してみようという私の挑戦に、実行委員含め賛同してくれる沢山の仲間や関係者の思いも裏切ってなるものかという意地もあった。
馬鹿にされたり失笑されたり、冷ややかな目線で見下されるのも、罵倒されるのも直角90度でお詫びするものもう何とも手慣れたもので、そんな事よりも遣り遂げる事が最優先だった。
そんなことがあって迎えた当日だったので、誰より楽しむ!という主催者としての立場は全くの失格だったと思う。終始、何事もないようにと全身ハリネズミのように神経を尖らせ表向きには花冠など被っていたが、心の中では「安全第一」のヘルメッドを着用していた。
2週間前の出来事は家族以外には口外しなかったが、イベントは結果的に私がその場にいなくても大盛況で大成功だった。そのくらい、スタッフも大活躍してくれて感謝しても仕切れないくらい、イベントを盛り上げてくれた。出店者も来場者もみんな笑顔で、2部のライブも素晴らしかった。奇跡と魔法に満ち満ちていた。
唯一、安全第一ヘルメッド着用の私が活躍できたシーンとしては、お昼頃、イベントが最も盛り上がっている最中に突然強面でスポーツ少年団のユニフォーム着用で現れた監督が乗り込んできた時だけだった。監督曰く、「普段、このグラウンドを使ってスポ少をやっているのに、雨上がりでグラウンドを駐車場にしてボコボコにしてどういうつもりだ!市役所にクレームするぞ!」と猛烈な勢いだった。でも、私からしてみれば過去何人も登場したうちの人物の1人だった。私が「ここはあなたの土地ですか?」と問いたら、さらに激昂してしまったが、そういう意見も含めて今日はみんなで昭和100年目の昭和の日に色々交流して自由に話したり考える機会としてあるから、あなたも椅子に座ってあっちでゆっくり話せませんかと勧めると、怒って帰ってしまった。
そのやりとりを聞いていたサヌキチームの男性陣が、演者も含め、翌朝地元の知り合いに声をかけてくれたりして、早朝から集まって機材を借りてグラウンドを綺麗に整地してくれた。大変な作業を自ら買って出て、スーパーマンみたいにすごい勢いだった。
改めて、男の人の力、男気、素晴らしいなと感謝でいっぱいになった。
その中の1人に、南房総から毎年駆けつけてくれる奈良大介さんがいた。
私は今回、日が経つにつれ、確信する。
私は、奈良大介さんによくやった!と褒められたくてこんなことをやっているんだと。
朝の4時半まで打ち上げが盛り上がって(我が家で汗)、みんなバタンキューなのに、6時半には颯爽と犬の散歩に出て、帰宅してすぐに皆を促し会場に自ら行って整地してくれるそのバイタリティと人情と男気。
どんな社会のはみ出しモノも、尖った強面も、変わったスピリチャルも、子どもも動物も、みんな「かわいいなあ、最高だなあ、いい奴だなあ」と褒めて可愛がってくれる。そんな奈良さんの前では、みんな少年や少女になって、まあるくなってしまうのだ。
イベントが終わって、南房総に帰宅された夜、すぐに奈良さんからお礼のお電話を頂いた。「今までで一番良かった!ここ最近のあちこちの祭りの中で最高にいい祭りだった!来年もやろう!絶対行くからな!魔女、ありがとな」と。
それで全部、全てが満たされて安全第一ヘルメッドを外して、パジャマに着替えて泥のように眠れた。そして、目覚めた瞬間グラウンドの隅にまだ残っていたかもしれない雨水のような涙が、ブワッと流れ落ちて、スッキリした。
これからも奈良さんの背中を、私はずっと追いかけていきたい。よくやった!と褒められたい。奈良さんならどうする?をよく自分に問いかける。「お前、冗談でも魔女なんて名乗ってんだったらケツまくって本気でやれよ」と出会ってすぐに言われた言葉が頭の中にリフレインする。
本当に毎回愚かな自分だと思う。
でもやはり、「魔法」は呪文やステッキやスピリチュアルなものではなく、常に自分の中から立ち上げていくものだと思う。
過去という籠の中に自分を閉ざして飛べない鳥になっている自分を許して飛び出ていく一歩を、不思議と毎年フェスタはきっかけをくれている。一体何羽自由に空を羽ばたいていっただろうか。
どこまで行っても、自分の中にしかなく、そしてそれは日々変容し、変遷していく。
フェスタに関わってくださった全ての人たちに、この場をお借りして深く深く感謝申し上げます。本当に有り難うございました。
追記:後日談として、2週間前の出来事がきっかけで、5月7日に市長に表敬訪問する機会に恵まれました。物腰の柔らかな思想のしなやかな素晴らしい市長。
で、魔女って何やってるの?と何度も聞かれ、その度にはぐらかすのに大変でした笑
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