アワとサヌキ
- いしざき緑子
- 4月21日
- 読了時間: 7分
更新日:5 日前
魔女のフェスタ2025年の今年のテーマは「アワのチカラ サヌキのチカラ」。
アワってなに?サヌキってなに?とよく聞かれる。
西の人たちにとっては馴染みのある言葉で、本来女性性のことをアワ、男性性のことをサヌキということをその都度知らせてはいたけれど、今さらこの時代にジェンダーがどうと問おうというつもりはない。
肉食女子、草食男子、LD B Gや男女平等、男女同権など時代の流れとともに変化していることも多分にあると思う。
誰の中にもサヌキとアワはあり、グラデーションのように多種多様にありそれを分かち合って活かし合う時代だと思う。
けれど、今回昭和100年を振り返って、どうしてもアワとサヌキがキーになると思えて仕方なかった。昭和を振り返る上で外せない「戦争」とその後の「経済成長」。それによって得たものも失ったもの。
イベントをやるにあたって、昭和100年を振り返る企画でいろんな世代からインタビューをとるなかで最高齢94歳の方からのお話も伺えた。皆、60代以後の方々が口を揃えてお話くださるのが、戦後貧しかったけれど、人と人の肌触れ合える交流や自然の営み、社会に余裕と余白がたくさんあって、楽しい子供時代を過ごしたということだ。その後どんどん高度成長期になり、社会に活気や熱気があって皆経済成長を実感しながら、豊かさも享受できた。
それに比べて今は社会の交流も希薄でスマホばっかりでお財布も精神も貧しくなってしまったと口をそろえる。確かにと思う。
私がアワについて深く考えたのは、特攻隊員の遺書を読んでいた時だった。彼らの母親や妻は一体どんな気持ちで息子を戦地に送り出したのだろう。今では叶わない問いだ。
彼らは母親や妻の命や住む土地を敵国から命をかけて守りたい一心で逝ったはずだ。その時の彼らと同世代の今を生きる若者の死因の第一位はダントツで自殺である。少子化も絶望的に進んでしまった。
「いのち」がこれほど炙り出されるような時代にあって、昭和100年の大切な節目にあってまだなお目眩しのような万博やスポーツニュースに報道を占める昨今に大きな憤りを感じる。
よく、日本は敗戦を機に全て主導権を失い狂ってしまったと言われている。
ならば、やはり今こそその時その時代にどんなサヌキとアワのチカラがはたらいたのだろうかと知りたくなった。どんなアワのチカラが前駆してその空気を生み出し膨張させ、沢山の犠牲者となってしまったサヌキのチカラを作り出してしまったのか。
大きな権力やチカラが暴走して社会を呑み込んでしまいそうな空気。
戦前ほどでなくても、私たちは真綿で首を絞められるようにジワジワすでに感じていて、マヒして、疲弊し始めていないだろうか。
日々の生活は本来生命活動そのもののはずなのに、いつの間にか常識とされてしまった沢山のものに縛られて、私達はもはや生きる本質の軸からズラされ、気力を失って不安になり自信を失っている。
日本各地で食糧危機や金融危機、宗いう問題にアンテナを貼ってたくさんのコミュニティが立ち上がっているのも、ネットの時代ならではだと思う。
けれど、私はそれにも違和感がある。
気づいた自分たちだけが助かれば、それでいいんだろうか。そして同じ思いや考えの人たちが集っても、そのコミュニティは最初は早いかもしれないけれど、持続し大きくなっていくだろうか。
今ある置かれた場所で、足元のパートナー、子供、親、兄弟、親戚、同級生、近所、職場の人、父兄同士、そういう一般的に家族として、社会人として、立場という入れ物に自分の本心を隠して繋がっている「生命活動」を営む関係者・面倒なストレス極まりない人たちと、もうそんな入れ物は脱ぎ捨てて、「建前」という全く意味をなさない話はやめにして、正直に対話や交流、話し合いをしつこくしつこく積み重ねていく事がとても大切だと思う。
そういうと必ず、今更無理、変人扱いされて終わり、どうせ変わらない、ハブられるだけ、理解されない、と「そんなことしても仕方ない」と言われる。
でも、今こそみんな自分の中に潜む「アワ」を最大限に発揮して分かり合うための努力をしてみませんか。
喧嘩した方がその後すごく仲良くなったり、タイムラグがあって分かり合えたり、何かの拍子に実はということは私の経験上とても多いのです。
身近な人たちとそういう小さな対話をたくさんたくさん積み重ねることで、解離があればあるほどに、どこかに線は必ず見えてくるし、変化も促せる。
今回の昭和100年インタビューも皆編集が大変になるほどに話が止まらなかった。皆、自分の思いを話す場がそれだけ今失われているのかもしれないし、躊躇っているのかもしれない。もっともっと、どんなことでも話し合って引き出し合って、心許し合える人たちを足元から増やすべきだと思う。そういうコミュニティの方がいざという時のソコジカラが違う。普段から沢山話しているとエネルギーを交換し合っているから、感じるチカラも強くなる。察する、思いやる、気遣う、そんな配慮も自然に生まれる。災害や様々な起こり得ると言われている非常時に発揮するのはそんなチカラではないのか。
これぞサヌキのチカラ。そしてそれを前駆しているのは普段からの裸の付き合い。美味しいものを皆で食べて、楽しいおしゃべり、お酒、踊り、笑いに尽きる。
どんな問題も最後は笑い話にするのは、やはりユーモアに昇華するだけの普段からの絶対的信頼を育むための対話の場数だ。硬いものを溶かすには時間もかかる。けれどそれを諦めた瞬間に、また硬くなってしまう。硬くなってしまうと簡単に折れてしまう。なにに折れるか。圧倒的権力の暴走にだ。
それを防ぐためには、硬いものを緩ませていく、緩くでも繋がり合う、これを育むチカラこそアワというのではないだろうか。
みんな、それぞれ個であれば、偉くも立派でも、それこそ「普通」でもなく空っぽのただの人。笑い合える人たちがあっての個であり、その連なりこそを「しアワせ」というのではないだろうか。
どうせ話ても無駄と思う気持ちはよくわかる。私もそうだった。
「なぜ、どうして」に対して「仕方ない、そういうものだから、波風立てないで」と子供の頃からよく言われてきた。「なんであなたは他の人と同じように普通でないの」と教員である母親から何度も泣かれた。「何か意見があるなら、それなりに偉い立場に自分で努力してついてから言いなさい」とも。その度に傷ついたし、憎んだこともあったし、20年以上距離を置いて連絡を絶っていた母親とは、1年前に電話で自分の気持ちを正直に伝えた。何度も途中で電話を切られたし、何ヶ月もかけて諦めないでトライした。私を責めるのかと加害者被害者のように捉えられ、泣かれたりもした。どちらが正しいか間違っているかではなく、どちらかが謝罪するとかでもなく、どうあったらお互い幸せかを軸に話している、折角今世母娘として学び合う関係に生まれてきたんだから、全て過去は学びにして、これから幸せな関係を築くために話していると何度も何度も伝えた。そして最終的に母親は「私は怖がりだから、自分と違う生き方をする娘が怖かった、逃げていた」「後めたい事から逃げて生きると、責められているように感じてどんな言葉も耳に入らない」「自分と違う生き方をして幸せだなど言われたものなら、私が惨めに感じて今更この年でそんなふうに自分の事を認めたくない、だからガードしてしまう」と正直に告白してくれた。
そんな気持ちに私が長年傷ついてきたなんてとも思ったが、そんな母の側に居続けたら、今この自分の幸せはないと逆に感謝しかなかった。その後も少しずつ子供達など周りも巻き込みながら電話したりして今回のフェスには、なんと応援金まで送ってくれた。
1対1の関係は行き詰まるけれど、そこに沢山の人の交流があると尚スムーズだったりする。
パートナーシップもそうで、私は随分周囲の人たちにクッションに入ってもらったり、ミラーとして見せてもらえたり、学ばせてもらえているなあと思う。
どんな関係も深刻になっていい事なんて一つもない。正解もない。ただ、どうあった方が自分達が一番幸せか。それに尽きると思う。
人付き合いや人間関係なんて面倒臭いと言われるが、立場や肩書きや社会的圧力などが加わるとそういうものを生み易い。上も下もない、緩やかな、そして新旧出入りしやすい風通しの良いアワを普段から育てていくしかないと思う。
分断や沈黙は、権力の暴走を許す。
戦争はその際たるものだ。
二度とそんな悲惨なサヌキを1人たりとも戦争で失いたくない。
どんなイノチもしアワせに育める土台を、女が台となり「始める」事、育んだ土台にみんながしアワせに生きれるためにサヌキのチカラが活かされる。
その循環こそが、昭和100年目に私たちが試されるフェーズだと思っている。
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